2012年3月8日木曜日

理化学研究所の設立と日本の科学技術の発展の関係について述べよ。 単位にかかわる...

理化学研究所の設立と日本の科学技術の発展の関係について述べよ。

単位にかかわるので、答えていただけると幸いです。







理化学研究所は、大正六年に高峰譲吉(消化薬タカジアスターゼ、アドレナリンの結晶単離で世界的に有名な化学者)によって創立されました。それは少資源国の日本を科学立国にするために科学者が自らの手で作り上げるという異例なものでした。経営を含む全てが科学者の手によるのでまさに科学者の楽園のようなところでした。自らの発明や発見を商業化して利益を生み出し、豊富な資金源で鈴木梅太郎(ビタミン研究)、寺田寅彦(物理学者であり文学者)湯川秀樹(後にノーベル賞受賞)、朝永振一郎(後にノーベル賞)など日本を代表する科学者達が思い通りの研究を続ける事が出来ました。朝永振一郎は当時の理研を「科学者の自由な楽園」と称したほどでした。このため、当時のヨーロッパで毒ガスの研究など非人道的な研究が盛んに行われたのと対照的に「科学の平和利用」が行われていたように思います。しかし、日本も日中戦争勃発し泥沼化していくにつれて、すでに有力財閥に成長していた理研産業団もまた国力充実に科学の発展は欠かせないので次第に戦争協力に傾いていったと思われます。その最たるものが仁科芳雄研究室の原爆開発ではないでしょうか。そして大東亜戦争の敗戦でGHQにより徹底的に解体されてしまい、科学者の楽園は失われてしまいました。



これでいいですかね?何かの参考にしてください。

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